藤岡 英雄『学びのメディアとしての放送-放送利用個人学習の研究』学文社,2005年.

2017/07/20

 インターネットが今日ほど普及していなかった時代、毎年4月になると、「今年こそは」とNHKラジオ・テレビ講座のテキストを揃える…そんな経験を誰もがもつのではなかろうか。たとえ数か月の継続だったとしても、そう思える状況は何か前向きな気持ちの現れのように感じられる。もちろん視聴を続けて語学や料理などの技能を習得した人も多いだろう。しかし、これまで私たちの日常に定着してきた放送個人学習に関して体系的に行われた研究は意外にも少ない。
 
本書は「おとなの学び」について、放送利用個人学習を題材に考察された書籍である。著者はNHK教育テレビが開始された1959(昭和34)年から教育番組制作者として現場に携わり、その後NHK放送文化研究所で番組開発研究を重ねた。退職後には大学教員として大学公開講座を企画・運営する大学開放事業にもかかわってきた。そのためか、研究者でありながら常に現場主義、学習者の実情に添った視点が貫かれているのが本書『学びのメディアとしての放送―放送利用個人学習の研究』の特徴である。
 『
おとなの学びの行動学』はその40年にわたる研究の総まとめと位置づけられ、本書第1部は、主にNHK時代1970~80年代のテレビ講座・教養番組での視聴者調査を基にした論考が集められている。続く第2部、『学習関心と行動―成人の学習に関する実証的研究』では、「学習関心の階層モデル(氷山モデル)」が提示され、これを検証する形で、NHK放送研究所後期の仕事「学習社会における放送の役割に関する研究」の一環として17年にわたり行われた「学習関心調査」と、大学公開講座調査が示される。
 
氷山モデルとは、意識されない潜在的学習関心が、顕在的学習関心として意識の表層に現れ、さらに学習行動をおこす行動レベルに至るという理論であるが、筆者が長年成人学習者のニーズを追い求めながら講座企画をしてきた中で実感されたものであろう。したがって、理論と基盤となった研究群は、自覚的に学びにとりくむ(幼少期を除いた)すべての学習者にあてはまり、教育を提供する側は計画に役立てることができる。
 さて、本書の詳細を紹介していこう。本書で主要な対象となる「放送学習」は基本的にマスメディアを用いた一方向性の学習のため、「通信の方法により一定の教育計画の下に、教材、補助教材を受講者に送付し、これに基づき、設問解答、添削指導、質疑応答等を行う教育(社会教育法第50条)」という通信教育の規定には合致しない。しかし、通常の学習が提供された教材に基づく自宅学習であり、教員や 学友と離れている遠隔教育という共通点がある。不特定多数を対象とする放送教育は、学習者が特定できる通信教育に比べて学習支援にはさらなる困難さが伴うのではないか。研究群が貴重であるのは、調査対象者の母数の大きさと継続性による点もある。「見えない学習者」の調査を大規模かつ組織的に行うことができたのは、意欲的な筆者が学習市場開発者という立場にあったことにもあろう。

 目次をたどると、第1章:成人学習媒体としての放送―日本における歴史的展開と研究の軌跡、第2章:放送による職業技能学習―1960~70年代に職業教育番組が果たした役割、第3章:成人学習としての講座番組利用―利用実態と番組機能の分析、第4章:「学習補助情報」とその効果―放送利用個人学習の支援に関する実験的研究、第5章:「放送テキスト」の利用形態とその機能―『スペイン語講座』『ロシア語講座』『家庭大工入門』テキストを中心に、第6章:放送利用への意識と学びの諸相―放送利用の意識調査とケーススタディから、第7章:“教養”のメディアとしての放送―教養観と教養番組視聴に関する研究、である。
 
1章では通信制NHK学園高校、放送大学の開校にも触れられ、2~3章は社会通信教育の動向にも重なる。4章からは具体的な学習支援の方策が検討される。例えば、学習意欲につながる「学習補助情報」の具体化やテキストの機能性調査、放送大学の先導的事業であった「放送公開講座」におけるシステム構築などは、遠隔教育全般へのヒントとなる部分が多い。また、教養番組は「講座」ばかりではない。報道ニュースや異国でのドキュメンタリー、対談、クイズ番組が考察の対象となり、自由な学習のあり方を再考させるものである。
 
安定した学習メディアであるラジオ・テレビ講座は、資格取得や学歴には直接かかわらないノンクレジットの教育を提供するが、分野・難易度とも間口の広いメニューを用意し、乗り降りも自由、しかも無料である。佐藤卓巳(『テレビ的教養』NTT出版,2008)がテレビ放送を「教養のセイフティネット」と評したように、誰もがアクセスしやすい学習媒体であることに変わりはない。公共放送の提供者であった筆者は、国民の教養を支える気概をもち研究を重ねてきただろう。通信制の学校教育・社会教育の今後にも活かすことのできる書籍であると考える。

(佛教大学 内山淳子)
(「日本通信教育学会報」通巻45号より)