エリス・パーカー・バトラー(平山雄一訳)『通信教育探偵ファイロ・ガッブ』国書刊行会, 2012年.

2018/07/16

本書は、シャーロック・ホームズに憧れて探偵になった主人公ファイロ・ガッブの、ちょっとまぬけな迷活躍を描いた短編集である。
 著者のエリス・パーカー・バトラー(Ellis Parker Butler 1869-1937)は、20世紀前半のアメリカを代表するユーモア作家の一人である。バトラーはニューヨークで銀行家として成功するかたわら、1,700篇以上の短編を書き、生涯で33冊の単行本を出版したという(訳者解説による)。
 本書はPhilo Gubb, Correspondence-School DetectiveHoughton Mifflin Co., Boston and New York, 1918)の全訳および単行本未収録作品「針をくれ、ワトソン君!」を特別収録として収めたものである。
 「探偵になって大儲け。さあ探偵になろう。たった十二回の講座で君もシャーロック・ホームズだ」。室内の壁紙張り職人であったガッブの眼に飛び込んできたのは、日の出探偵事務所の探偵養成通信教育講座の新聞広告であった。これだ!とガッブは直感する。ガッブは定期的に送られてくるテキストを読み、レポートを書き、実習をコツコツとこなす。ときに、第4回講座の尾行の実習で、街中で見知らぬ人を2時間ほど追跡した際、テキストに忠実であったにもかかわらず、相手に尾行がバレて胸倉を掴まれる災難に見舞われたり…。それでも、ガッブはテキストを信じて疑わない。
 ガッブは、持ち前の温厚さと天然のお人好しさで実習を潜り抜け、探偵養成通信教育講座を優秀な成績で卒業し、晴れて探偵となる。ガッブが出会う事件は次のとおり。
 ゆでたまご/ペット/鷹の爪/秘密の地下牢/にせ泥棒/二セント切手/にわとり/ドラゴンの目/じわりじわりの殺人/マスター氏の失踪/ワッフルズとマスタード/名なしのにょろにょろ/千の半分/ディーツ社製、品番七四六二〈ペッシー・ジョン〉/ヘンリー/埋められた骨/ファイロ・ガッブ最大の事件/針をくれ、ワトソン君!
 
ところで、「探偵もの」の紹介で、読者にとって一番の興ざめはネタバレである。ネタバレほど意味のない紹介はない。だからこれ以上本書の中身について語ることは慎もう。その代わり、本書のモチーフについて私見を少しだけ述べたい。
 本書のユニークさは「通信教育探偵」という言葉に尽きる。「通信教育」と「探偵」とは、あまりに距離が離れすぎているからである。「探偵」とはどのような人物かを考えてみればよい。例えば、ホームズやいま大人気の名探偵コナンを想像してみよう。彼らに共通するのは、鋭い観察眼や類希なる推理力、いかなる逆境にも挫けない強靭な精神力の持ち主であるということだ。つまり、探偵とはこうした才能あふれる人物の代名詞である。

だから、探偵とはなろうと思ってなれるものではなく、いつの間にかなっていたという類の職業である。それは才能の偶然性に左右される特権的なものだ。にもかかわらず、通信教育は「さあ探偵になろう」と人びとに呼びかける。正しい知識を身に付け、教師が想定した実習を着実にこなせば、「君もシャーロック・ホームズだ」と。
 
通信教育は、これまで教育不可能だと思われているもの=探偵を、教育・養成可能なものへと変換しようとする―しかも、「伝承」といった謦咳に接する形式を採らずに―。まるで通信教育は、「教育」のできること/できないことの境界線を書き換えているかのようである。
 ただし、この書き換えの成否は慎重に判断する必要がある。成否の基準は社会の受容の仕方にあるからである。本書にこんなシーンがある。捜査官が近隣住民に犯人の聞き込みをしている場面。〈住民〉「さっぱりわかりませんよ。ガッブに任せるつもりですか?」〈捜査官〉「あの通信教育探偵に?馬鹿言うな!事は重大になってきている。(巡査の)パーセルを派遣して捜査させる。」
 本来であれば、事が重大になればなるほどその存在感を増す探偵が、こうした言われようである。それはなぜか。もう一つ関連する問いを挙げよう。通信教育探偵のガッブが事件を解決したとき、それは通信教育の「学びの成果」なのか、あるいは結局ガッブの「才能」によるものなのか―いわゆる「環境」と「遺伝」の問題―。
 おそらく正解は「どちらも」―両者は互いに影響を及ぼし合っている―であろう。しかし果たして、この答えを社会は受け入れてくれるだろうか。というのも、ここで先ほどの、なぜ捜査官は通信教育探偵に任せなかったのか、という問いが顔を出すからである。そしてこの問いは、再び「学びの成果」と「才能」の問題へとつながっていく。こうして問いは循環する。
 読者のみなさんには、ぜひ本書を手に取ってもらい、答えを導き出していただきたい。

(東京大学 古壕典洋)
(「日本通信教育学会報」通巻50巻より)