牟田博光『大学の地域配置と遠隔教育』多賀出版,1994 年.

2019/12/25

 約 20 年前,日本で e ラーニングという言葉を聞くようになり始めたころ,「大学教育における IT 活用」が盛んに言われだしていた。当時,私はちょうど修士課程に入学するころであり,修士論文の研究テーマとして,大学での e ラーニングや IT 活用をやりたいと漠然と考えていた。
 指導教員の専門は生産管理であり,IT 教育が専門ではなかったが, IT 教育の生産性に興味を示していた。また,大学全体の FD 担当ということもあり,職務として IT 活用による教育改善を試みていた。このような経緯もあり,私の興味と指導教員の意向が合致し, IT 教育の生 産性,特に大学における e ラーニングの費用分析や経済性を中心に修士論文として考察する方針となった。ところが,当時は大学における e ラーニングの文献はある程度あったものの,費用分析のような経済性に着目した論文はほとんどなかった。幅広く資料や論文を探していく中で,「 通信制大学」「遠隔教育大学」「オープンユニバーシティ」の経済性に関する国内外のいくつかの文献を見つけ,その中で牟田先生が手掛けた「放送大学の費用分析」の論文や,この「大学の地域配置と遠隔教育」の書籍に出会った。
 最終的な修士論文のテーマタイトルは「情報通信技術を活用した遠隔教育に関する研究-高等教育における現状と大学開放へ向けての課題-」ということになったが,その中身の半分は,通信制大学の経済性や学生の費用便益に関するものとなった。当初は大学の e ラーニングの経済性という漠然とした内容で考えていたが,この書籍を拝見後,「通信制大学」という明確なキーワードのもと,経済性分析を行い修士論文をまとめることが出来たと思っている。
 この書籍のはしがきに記してあるが,本の内容は牟田先生の博士論文がもとになっているそうである(これまでご講演等の拝聴機会はあったが,残念ながら現在までお話しする機会はない)。内容についてはここで書き尽くすことは到底無理であるが,大きく分けて,“大学進学の地域間移動”と,“遠隔教育の経済性”という 2 つの柱がある。近年では中室牧子氏の著書「学力の経済学」がベストセラーになり,教育経済学や教育の経済分析といった, 教育の金勘定が一般市民にもようやく知られるようになり,多少は理解を得られてきた。しかし本書が出版さ れた当時は,教育の経済性という,教育界にとってはタブーなテーマであり,なかなか風当たりも強かったのではと推測される。
 私自身,修士論文をまとめている時期に遠隔教育(e ラーニング,通信制大学)の経済性について学会発表をすると,「教育に費用削減効果や効率性をもとめるべきではない」といった声も少なくなかった。すでに,海外の通信制大学(遠隔教育大学)では当然のように経済性が論じられていたにも関わらず,である。その指摘の多くは,国が責任をもって教育投資をすべきであり現場が 効率的な行動をすべきではない,という意図で あるが,現実問題として e ラーニングのような新しい技術を導入する際にはコストがかかり,本来であれば無視できるものではない。
 今となっては,「教育の持続可能性」のために費用分析を行うことは当然のことであるが,当時の教育現場においては,そのような考えはまだ少数派であった。
 その後,私の博士論文は,修士論文の延長で「遠隔高等教育の需要構造と社会的意義に関する研究」と題し,大学における IT の活用よりも幅広く,通信制大学全体を対象とした内容となった。その中では,通信制大学の経済性も検証しているが,再び本書は参考文献として手放せないものであった。価格は 8,000 円と少々値が張るものであったが,本文だけでも 360 ページを超え,詳細な分析手法と豊富な参考文献を目にすれば十分すぎるほど元は取れていると思われる。通信制大学の経済性に関する先行研究レビューも豊富であり,通信制大学に関する研究 にも,このようなエビデンスベースの切り口があるということを,ぜひ多くの方に知っていただきたい,と思わせる一冊である。