高校の恩師と国鉄の通信教育

2017/07/20

 私は高校一年の時に数学で0点をとったことがある。いつも、進学校で教えるのがオレのあるべき姿だとほざく男を私は嫌いだったが、二年になると浜松西高から来た先生が数学を受け持つことになった。先生は私たち低空飛行組を無視することはなく、授業も親切丁寧で分かり易かった。話の最後に「ダイネ」をつける癖が面白く、正の字を書いて数えたこともあったがすぐに百を超えてしまうのでつまらなくなってやめた。
 
その時は兄が国鉄通信教育の応用数学第2分冊を始めたばかりであった。第1分冊の報告課題は自力でやっていたが、商高卒業の兄は第2分冊の問題が難し過ぎて手が出なかった。先生に解き方を教えて貰おうと職員室へ行くと、先生は「説明してもまだお前には分からんからパンでも食べながら横で見てるダイネ」と言ってパンと牛乳をくれた。突然見せられたのに目の前で苦もなく解いてくれた報告課題は、名古屋鉄道教習所から返送される度に満点あるいはその近辺で、兄はその後によく勉強して修了試験に合格した。
 
先生は毎日放課後に校内を見回っていたので、私も落ちこぼれ仲間のMとともに施錠して歩いた。夕方は3人で掛川駅まで歩いて電車に乗り、数学と関係ない話をしながら帰った。中退しようとまで悩んだ学校が夢のように楽しい場所に変わっていった。
 
それから12年後、兄は私の結婚式で初めて先生に出会った。自分がやるべき報告課題を6回も解いてくれた方、国鉄の大学課程に進む希望を与えてくれた恩師として、彼は最大の敬意と感謝の思いを伝えた。
 
先生が亡くなられた直後にお宅をお訪ねした際、奥様の言葉は暗くなりがちであったが、先生の口癖を真似ると笑って下さった。そして、「あなたとM君の話をよく聞かされたわ」と声を出して笑い始めた。教え子としてこれに勝る喜びはなかった。

(常葉大学 科目等履修生:長谷川 晴通)
(「日本通信教育学会報」通巻48号より)