記事一覧

朝日 稔『私の手帖―その遥かなる道』朝日稔叙勲記念事業実行委員会,1983年.

2017/07/20 通信教育のこの1冊

 本書は長年、高校通信教育に携わった朝日稔氏の自伝である。朝日氏は戦後高校通信教育が始まった昭和23年から自身の定年までを通信制高校にて勤められ、それ以後も多様な形で高校通信教育に携わった、高校通信教育とともに生きた「通信制の神さま」とも呼ばれる方である。 本書は『私の手帖』とあるように、昭和50年代までの朝日氏の日々生きてこられた中での出来事や、想いが綿密に記された総頁数400頁を超える大作である。特に、戦後を記した第二部は高校通信教育とともに生きてこられただけあって、本書以外では知ることが難しい内容にも言及されている。 ここでは印象の残ったエピソードのうち3つに焦点を当てて簡単に紹介したい。1.IFELでのヤング氏の講演:リポート指導とは 初期のエピソードの1つとしては、IFELの際のヤング氏の講演内容に言及があり、「いつでも、どこでも、誰れでも」を説いたことや、「リポート指導に...

岩手大学学芸学部通信教育部編『岩手大学の通信教育』岩手大学学芸学部通信教育部,1959年.

2017/07/20 通信教育のこの1冊

 「大学通信教育」とは、1950(昭和25)年に正規の課程として開始されたものである。現在では「大学通信教育=私立大学」という認識が、通信教育関係者の中でも、もはや当たり前のものとなっている。 しかし戦後教育改革期には、学校教育法に基づく大学通信教育とは異なる、国立大学が実施していたもう一つの「大学通信教育」が存在していたという事実を、我々関係者は忘れてはならない。その「幻の通信教育」とも言うべき存在こそ「教育職員免許法認定通信教育」、いわゆる国立大学通信教育と呼ばれるものである。その沿革は、『岩手大学の通信教育』によると、次のように記されている。 「昭和二十二年度から六・三・三の新しい学制が実施されることになり、駐留軍総司令部民間情報教育局は、その精神を徹底させ、速やかに教育を新しい方向に切りかえるための方法のひとつとして、文部省の相談をうけ教員再教育の通信教育を行うことを承認した。...

花柳 幻舟『小学校中退、大学卒業-新・学問のすすめ』明石書店,2004年.

2017/07/20 通信教育のこの1冊

 花柳幻舟が何者かご存じでない方は、まずはWikipediaで検索されることをお勧めする。本書は、舞踊家、女優、作家にして、その所業で世間を騒がせることの多かった希代の女丈夫による放送大学卒業報告である。 西日本各地を回る旅役者の子として生まれた幻舟は、物心ついたときには子役として舞台に立っていた。旅先で父親が手続きをとり小学校に行かせるものの、差別やいじめをくり返し受け、学校は地獄のような恐怖の場、自分にとっての「敵」だと思うようになり、やがて行かなくなる。「小学校中退」である。後年、自分にとってのキーワードのひとつが「学校」だということを突きとめ、そこで受けた大きな心の傷(トラウマ)に正面から向き合ってみよう、再びあの恐ろしい「学校」へ行ってみようという大挑戦を企てることになる。 夜間中学や大検などについて調べ、たどり着いたのが放送大学だった。一般教養科目16単位を取れば大学入学...

藤岡 英雄『学びのメディアとしての放送-放送利用個人学習の研究』学文社,2005年.

2017/07/20 通信教育のこの1冊

 インターネットが今日ほど普及していなかった時代、毎年4月になると、「今年こそは」とNHKラジオ・テレビ講座のテキストを揃える…そんな経験を誰もがもつのではなかろうか。たとえ数か月の継続だったとしても、そう思える状況は何か前向きな気持ちの現れのように感じられる。もちろん視聴を続けて語学や料理などの技能を習得した人も多いだろう。しかし、これまで私たちの日常に定着してきた放送個人学習に関して体系的に行われた研究は意外にも少ない。 本書は「おとなの学び」について、放送利用個人学習を題材に考察された書籍である。著者はNHK教育テレビが開始された1959(昭和34)年から教育番組制作者として現場に携わり、その後NHK放送文化研究所で番組開発研究を重ねた。退職後には大学教員として大学公開講座を企画・運営する大学開放事業にもかかわってきた。そのためか、研究者でありながら常に現場主義、...

杉田玄白・建部清庵『和蘭医事問答』岩波書店,1976年.

2015/07/01 通信教育のこの1冊

 私人の手紙の交流は通常、公開されない。しかし杉田玄白と建部清庵とのこの往復書簡、4通は私蔵されなかった。当初からこの書簡は玄白の入門者のテキストとされていた。しかも「和蘭医事問答」の名で公刊された。メールによる多彩な交流や転送が容易になった今、この歴史的な質疑応答は再評価できる。 差出人・建部清庵が奥州一関から書簡(質問書)を認めたのは、1770(明和7年)閏6月のことである。杉田玄白による江戸からの回答の日付は1773(安永2年)正月である。この間、2年半程度も経っている。遅くなったのは飛脚の往来が困難であったというよりも、宛名も定まらない質問書に答えられる人物が見つからなかったからである。 建部清庵(1712~1782)は本草学者として飢餓に備え食用となる野菜や果樹を奨励していたが、医師でもあり、かねがねオランダ流医術に疑問があった。その疑問が解けないと、死んでも死にきれない熱...

村井実『教育の再興』講談社, 1975年.

2015/07/01 通信教育のこの1冊

 村井先生との最初の出会いがこの本でした。2012年のことです。それから様々な著書を読みましたが通信教育、特に大学通信教育について極めて明瞭に問題点を指摘し、また私の長年の疑問にも答えてくれているのが『通信学習による大学改革』(ギュンター・ドーメン著,鈴木謙三訳,村井実監訳,日本放送出版協会,1972)の「監訳者はしがき」でしたので『教育の再興』の前にこれから紹介します。 村井先生が考える大学通信教育の問題点を一口で言えば「大学問題の埒外にある」ということです。少し引用します。  「(略)日本では、大学通信教育は、一九四八年以来の長い歴史をもっている。だが、その間、その理念についても、組織制度  についても、潜在するさまざまの問題点についても、ほとんど本格的な研究は行われた形跡がない(略)政府はもともと、百年  来その支配下においてきた大学について、その根本的な変革を欲するわけはなか...

秋田大学鉱山学部編『通信教育十五年』秋田大学鉱山学部通信教育室,1962年.

2014/10/21 通信教育のこの1冊

 資格を与えることに目的をおく教育は時代遅れ。通信教育はノン・クレジット・コースだけにすべき。日本の教育界のがんである学歴、レッテル主義と学閥の弊風を一掃し、実力主義を打ちたてよ。こうした主張が強かったものの、クレジットの現実的な必要を説く教育現場の声に押され、ノン・クレジットの栄冠は社会通信教育の頭上にのみ輝いた――。  「ノン・クレジットの栄冠」とは逆説的な言い回しに聞こえるが、そう回想したのは、文部省社会教育視学官として戦後の通信教育制度創設に関わった二宮徳馬である(『文部省認定社会通信教育 20年の歩みと将来』昭和43年)。秋田大学鉱山学部の通信教育講座も、その「栄冠」を手にした社会通信教育講座の一つである。秋田大学鉱山学部編『通信教育十五年』によれば、昭和23年5月23日に開催された同講座の開講式に、その二宮が企画課長の福原義人とともにはるばる参列している。それだけではない。当...

手島純『これが通信制高校だ』北斗出版, 2002年.

2014/01/20 通信教育のこの1冊

 著者の手島氏は、高校教諭として、15年間公立の通信制高校に勤務した経験を持ち、現在も通信制高校に関する研究や発言を続けられている。 本書は「これが通信制高校だ」というタイトルだが、内容は日本の通信制高校にとどまらず、ドイツやアメリカにおける通信教育や、遠隔教育の現状にまで及んでいる。また、日本の通信制高校についても、設置経緯から現在の多様な高校の実態に至るまで、文献調査や著者の教員としての経験、高校への訪問調査によって詳細に述べられている。そして最後には、教育の在り方そのものに対する提言がなされている。現在、通信制高校に関連する書籍の多くは学校案内で、通信制高校に関しての研究はまだまだ少ない。そのため、特色ある学校の様子を知る事はできても、ベースとなる制度的背景や、通信制高校の生徒の多様化による問題が指摘されることは少ない。こうした中で、本書は通信制高校の在り方、学校教育の在り方に...

宮子あずさ『大学通信教育は卒業できる』メディカ出版, 2004年.

2013/09/16 通信教育のこの1冊

 宮子あずささんは、看護専門学校を卒業後、大学通信教育で学士、通信制大学院で修士の学位を取得、働きながらの学びで博士の学位までを取得された方である。その平成5年から現在に及ぶ学びは、多くは通信教育での学びである。本書は、そのうち最初の学士課程である産能大学卒業を過ぎた頃から明星大学通信制大学院での学びの過程をつづった体験記兼Tips集である。 宮子さんははじめにこう綴る。「忙しくても続けられるべつ腹の楽しみ」、それが通信教育である、と。さらに、「大学通信教育は卒業できる!」、ただ、そのためには「コツ」があり、「裏情報」があるという。読み進めると、そこにはいくつもの有用な情報や、ときには通信教育で学ぶ上での考え方が綴られている。その中身は入学に際してのノリの大切さ、入学する大学を決める際の視点としての編入学の有無、単位取得方法、試験システム、スクーリングから、さらには、モチベーションの...

大原富枝『婉という女』」講談社, 1960年.

2013/08/19 通信教育のこの1冊

 主人公・野中婉(1660~1725)が初めて師・谷秦山と出会ったときの思いを、大原富枝はこう書く。  「おお、お婉どのか―」  わたくしはあっと思った。(中略)低い声で呼ばれた自分の名が矢のようにわたくしの心に、体に刺さった。  女には生涯にただ一度呼んで欲しい自分の名があるものではあるまいか。 時に婉は44歳。秦山から儒学や詩歌などに関する書簡による指導を受けてから約5年間。秦山からの兄宛書簡を介して師を知ってからすでに約17年間。4歳の時、土佐・宿毛(すくも)に幽閉されているので、もはや40年。酷い時間の積み重ねがあった。書簡のうえでしか知らない師の、生身の姿との初対面。その感激は筆舌に尽くしがたいだろう。 野中婉は土佐南学の流れを汲む朱子学者であるとともに土佐高知藩の家老・野中兼山(1663~1718)の四女である。兼山は南学による庶士の教化にあたり藩政の指導者として辣腕をふ...

三好京三『キャンパスの雨』文藝春秋, 1979年.

2013/07/16 通信教育のこの1冊

 『子育てごっこ』で直木賞を受賞した三好京三が、自身の体験をもとに書いた中年大学生の通信教育奮戦記である。三好が慶應義塾大学文学部国文学科(通信教育課程)に入学したのは昭和40年4月、卒業は46年3月なので、卒業までに6年かかっている。一方、小説の主人公の信吉は4年で卒業している。その4年、4回にわたるスクーリングでの出来事を、汗と涙、それに多少のロマンスを交えて、遅れてやってきた輝ける青春として生き生きと描いている。  信吉は、村の小学校の分校で妻と二人で教師をしている。子供はいない。学歴は、旧制中学4年から新制高校2年に移行して卒業している。教育委員会からは「職務専念義務特別免除」の休暇をもらい、PTA会長や婦人会長からは「先生ァ、子どもの模範だ」と持ち上げられ、夫婦二人分の給料を注ぎこんで参加しているスクーリングだから、脇見などしている余裕はないはずだが、そこはそれ、女性が多い文...